読書家失格

近ごろ、戦前の歴史的仮名遣いと旧字体が用いられた翻訳小説を読もうとするとどうにもつらい。手強いのだ。たった数ページでパタンと本を閉じてしまう。字の小ささや黄ばんだ本のコンディションにも影響されているはず……これはiPad miniで自炊本やKindleに頼りきった弊害なんだろうか? つまり、私は確実に馬鹿になっているのだ。

脳がまだ劣化しらずだった頃、性格的にも尖って刺激に飢えていた10代後半の時分と比べると、私の読書家としての能力は後退の一歩をたどっている。中身さえ面白ければ醤油をつけたように変色した岩波文庫でさえ気にならず、面白さに引きずられて電車を乗り過ごすことすら幾度もあったというのに。

私は考える。ここ10年数年ほどで顕著になった世界的な流行、いわば新世界秩序である「短く簡単でわかりやすいもの」にいつのまにか慣らされてしまったのではないかと。安易に結論へ飛びつけるシステムに毒されているのではないかと。

現代のサービスやエンタメはバカでも怠け者でも理解できるように設計しなければならない。

その手のわかりやすいものからは意識的に距離をおいていたはずだが、テック系のニュースやアングラなカルチャーすらその影響を受けているため、完全に無視することは無理というもの。ああ、私はどんどん馬鹿になっていく。